その オレンジ色のやさしい街は…

※この記事はgooブログから移行・変換したものです。

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■イタリア旅行記6 6日目(2009/3/20) ~ヴェネツィア編~

●ヴェネツィア-Venezia-

イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア県に属する人口約27万1千人のコムーネ。
アドリア海の最深部ヴェネツィア湾にできた”ラグーナ(潟)”の上に築かれ、網目状に連なる運河が作り出す独特且つ美しい景観から、”水の都”と呼ばれています。

ヴェネツィアの歴史は4〜5世紀に始まったフン人・ゲルマン人の大移動から始まります。
古くからヴェネツィア周辺の地域にはウェネティ人(以後ヴェネツィア人と呼ぶ)と呼ばれる原住民が居住していたのですが、5世紀のゲルマン人のイタリア侵入を切欠にゲルマン人が容易に入って来れない湿地帯へと避難したというわけです(アテネのポリス形成と同じパターンです)。

こうして湿地帯に逃れ、自然の城壁で囲まれたヴェネツィアは十字軍・宗教弾圧時代下においても他諸国の混乱への干渉を最小限に抑え、東方貿易で利益を得て、一躍イタリア随一の海洋国家へと成長しました。


話を戻しますが、ゲルマン人から逃れたヴェネツィア人は自らを守るためこの湿地帯に定住する上で、居住区となる地盤(基礎)を築く必要がありました。

そこで当時のヴェネツィア人は2〜5m程の木材の杭を沼地の粘土層に隙間なく打ち込み、その上に海水に耐性がある石材(イストリア半島産)を何重にも積んで、石と石との間をセメントで固め、堅固な地盤を作り出したらしいです(但し、初期の地盤は技術不足などもあり結構脆かったとか)。

こうした地道な努力によって現在に見るような素晴らしい地盤が出来上がっています。

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【左】(新潮文庫:塩野七生著『海の都の物語 -ヴェネツィア共和国の一千年-』を参考に自作)
【右】ヴェネツィア本島のカンポ(広場)に存在する井戸の跡

また、海上生活をする上でのつき物といえば飲料水の確保です。
そこで登場するのが右の写真のような井戸。

元々この井戸があるカンポとはイタリア語で”畑”などを意味しており、この広場も初期の段階では未舗装でした。
しかし、水確保が切実なものとなると同時に広場を舗装し、井戸を設けて地下に水を溜めるようになったのです。
写真では分かりにくいですが、穴のようなもの(取水口の跡)に向かって若干地面が傾いているのが分かると思います。
この穴を伝って雨水が地面の砂の層で濾過され、井戸真下に溜まる仕組みとなっています。

…とこのように、ヴェネツィア人の知恵について挙げていてはキリがないので、そろそろ本題へ移ります。

▼地図
こちら

『ARIA』の舞台探訪記を見て頂ければお分かりだと思いますが、普通に晴れてますw

前日の夜は暗雲が立ち込め「これは無理かな…」と失望していたのですが、朝起きてみると驚いたことに雲が切れて眩い太陽と青空が広がっていました…。

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「準備よ〜しっ、お天気よぉーし!!」
「そりではー、マンホーム・ヴェネツィア散策ツアーに出ぱーつ!」

ホテルを出て右手にメストレ駅を眺めながら、バスはヴェネツィアとメストレを結ぶリベルタ橋へ。

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▲ムッソリーニの命を受けて「リットリオ橋」として1933年に開通した同橋 遠方にはアルプス山脈が微かに見える

ヴェネツィアでは、自動車はおろか自転車すら乗り入れが禁止されているので駐車場で下車して船に乗り換えます。

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( ゚д゚)
(つд⊂)ゴシゴシ
(;゚д゚)…夢でありませんように…

2005年に『ARIA』という作品に出会い心惹かれて以来、この瞬間をどれだけ夢見たものか……。
感動しないはずがあろうか(反語)。

放心状態のまま15分ほどで本島の船着場に到着。
ヴェネツィアへの一歩を踏み出し、最初の見学場所ドゥカーレ宮殿へと向かいます。
(…途中色々なものに目移りし、宮殿に辿り着くまでに70〜80枚近く写真を撮ってしまったというのは内緒w)

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▲「ため息橋」周辺は残念ながら改修工事中…

宮殿に到着、中へと進んで行きます。

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まず目に留まるのがサン・マルコ大聖堂の屋根。
裏側にも手を抜かないこの細かな装飾、実に良いです。
因みにこのドゥカーレ宮殿の”ドゥカーレ”とはイタリア語で”総督の””公の”などということを意味しており、その名の通りヴェネツィア共和国のドージェ(元首)邸宅兼共和国政庁だった建造物です。
サン・マルコ大聖堂(寺院)も今でこそ司教座聖堂として扱われていますが、元々はドージェの私的礼拝堂であり、カトリック教会の司教座聖堂としての役割はありませんでした。
ヴェネツィア共和国の徹底した政教分離(政治的独立性)がここに表れています。

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▲中庭にある「巨人の階段」 かつてこの階段では新しく就任したドージェの即位式が行われた

例の如く宮殿内部は撮影禁止だったため写真は撮影していませんが、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』に出てきた法廷のモデル(というか実物)や、元老院の衆議場、またため息橋を介して隣接する牢獄も見学してきました。
話によると牢獄にもグレード(級)があるようで、酷い部屋だとアクアアルタ(高潮現象)時に半分水没する牢もあったようです(苦笑)。

宮殿を見学し終え、次はサン・マルコ大聖堂へ。
言わずと知れたビザンツ様式の代表的建築物として有名なこの建物、正面のモザイク画、ドームを幾多も備えた屋根がそれを物語っています。

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それにしてもここまで2Dで見慣れた世界が広がっていると、頭が半分2Dの世界へ引き込まれそうで…(^^;
この聖堂内も撮影禁止とのことなので、聖堂内の写真は撮影していません。

『ARIA』で「秘密の階段」と称された急勾配の階段を昇り、二階へ。

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工事中の箇所が若干気になりますが、旧行政館(右)、新行政館(左)、ナポレオン翼(正面)で囲まれたサン・マルコ広場が一望できます。

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デッキ正面にあるのは、第4回十字軍遠征の際にコンスタンティノープルの競馬場から略奪した4頭の馬の銅像のレプリカで、本物は聖堂内に置いてあります。

美しい景色を堪能し、ヴェネツィアン・グラス工房の見学へ。
ヴェネツィアン・グラスの本場といえば近くにあるムラーノ島なのですが、出張的に本島にも工房を構えているそうです。

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▲熟練した職人さん(マエストロ)がグラスの基本部分を作っている際中だった

色々なグラスを見させて頂きましたが、赤いグラスが格別に綺麗でした(自分用に買いたかった…)。

そして、待ちに待ったゴンドラ遊覧の時間です。

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▲サン・マルコ広場から徒歩2〜3分の所にあるゴンドラ乗り場

ヴェネツィアのゴンドラの殆どは黒色で、白いものは一度も見ませんでした。
「全員見習い?」とか言うと、怒られるのでやめましょう(^^;
皆さん一人前のゴンドリエーレです。

では乗船するとしましょう。
「お手をどうぞ」的に手を差し伸べられたので、それに従い乗り込んだのですが、私の体重が重かったのかゴンドラが激しく揺れ危うく落ちそうに…。
(早く痩せなくては…)

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▲船首に花が… こういう粋な計らいは絵になります

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▲上を見上げれば、昨日までの天気が嘘のような透き通る空…

幾多もの小橋を潜り抜け、ゴンドラはやがてカナル・グランデ(大運河)へ。

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右手に見えてきたのはかの有名なリアルト橋です。
建造当時は木造だったそうですが、石造りの橋へと改築されています。

ゴンドラはカナル・グランデのど真ん中を悠々と進んで行きます(結構怖かった…)。
やがて停留所に停まっていたヴァポレット(水上バス)が追い着いてきました。

揺れるじゃないか、コラ!!((((;゜д゜)))ガクガクブルブル

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このヴァポレットはヴェネツィアの公共交通会社ACTVが運営する水上バスで、車両の通行が禁止されているヴェネツィア諸島における公共交通機関として、観光客だけではなく市民の足としても親しまれています。

ヴァポレットが巻き起こす激しい揺れに翻弄されながら、ゴンドラは再び小運河へ。

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▲運河側に掲出された店の案内 こういった微笑ましい光景(演出)もヴェネツィアならでは

ゴンドラに乗船して30分強、無事に海の藻屑となることも無く元の船着場へと帰ってきました。
2009年から女性のゴンドリエーレが誕生したらしいので、今度来たときはそのウンディーネさんのゴンドラに乗ってみたいものです(^^;

ゴンドラ遊覧が終わると昼食の時間です。

海の都とあってかイカ墨のパスタとイカのフリッターというシーフード料理でした。
日本ではイカ墨と名の付くものは全て敬遠してきた私ですが、食べてみると墨の味など全くせず、寧ろおかわりしたくなるほど美味しかったです。
美味しい料理を食べ終えてゆっくりしていると、ウェイターのおじさんがやって来て「オイシイ?」と片言の日本語で話しかけてきました。
「おいしい」と恥ずかしながら答えてしまったのがいけなかったのか、何故か私のわき腹をくすぐり出すという…(苦笑)。
気に入られてしまったみたいで、頼んだファンタグレープを5ユーロのところ3ユーロにまけてくれました。
ありがとうおじさんw

昼食を終え自由行動となったので、お土産を買った後は一時家族と別れ、一人でヴェネツィアの街を歩いてみることにしました。

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折角ヴェネツィアまでやって来たので、この鐘楼(カンパニーレ)に上ってみます。
この鐘楼の始まりは9世紀に建造されたドッグの見張り台で、1513年に今の形の高さ98.6mの鐘楼として完成しました。
しかし、1902年に鐘楼が崩壊したため、現在残っているのは1912までに再建され完成したものとなっています。

入口で6ユーロ支払い、エレベーターで展望台へ。

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サン・マルコ大聖堂の屋根もこの通り。
毎日御茶ノ水で同じビザンツ様式の教会を見ていますが比べ物にならないですね。

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▲奥に見える緑の生い茂った島が墓地の島サン・ミケーレ島、その奥に見えるのがヴェネツィアン・グラスで有名なムラーノ島

ヴェネツィアの美しい景色を一望し終え、カフェ・フローリアンを見てみることに。

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カフェ・フローリアンはヴェネツィアに現存する最古の喫茶店(現地ではBAR(バール)と言う)で、1720年の開業以来同じ場所で営業を続けています。因みにカフェ・ラテ発祥の地としても有名です。
有名な老舗ということでそれなりに値段も高く、屋外で、音楽演奏付きで一杯飲もうとすると日本円で2,000円近くかかります。
雰囲気を味わうための料金と考えれば安い…かもしれません…。

この後は『ARIA』の舞台を探しながらまったりと歩いていました。

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▲ジュデッカ運河とサン・ジョルジョ・マッジョーレ島 漫画の扉絵か何かでこんな感じの絵を見た気がする…

〜中略〜

舞台探訪活動に夢中になり過ぎた(というより道に迷った)ため、集合時間5分前に何とか到着。
まだツアーの皆さんが全員集まっていなかったので少しだけ撮影。

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▲西日を受け鮮やかに浮かび上がるドゥカーレ宮殿

こうして私のヴェネツィアでの一日が終わりました。

以上です。長文失礼致しました。

▼イタリア旅行記一覧

・イタリア旅行1~2日目(2009/03/15~03/16) ~ローマ・ヴァチカン~
・イタリア旅行3日目(2009/03/17) ~アッシジ~
・イタリア旅行3日目(2009/03/17) ~シエナ~
・イタリア旅行4日目(2009/03/18) ~フィレンツェ~
・イタリア旅行5日目(2009/03/19) ~ピサ~
・イタリア旅行6日目(2009/03/20) ~ヴェネツィア~
・イタリア旅行7日目(2009/03/21) ~ヴェローナ~
・イタリア旅行7日目(2009/03/21) ~ミラノ~
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