大日本帝國海軍の遺物

※この記事はgooブログから移行・変換したものです。

今朝家を出るときに、以前から気になっていた公園に寄ってみました。

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一見何の変哲もない普通の公園です…。
ミニ四駆を砂場で暴走させて壊したり、ゴムボールを豪快に吹っ飛ばしたりなど…色々と思い出はあるんですがね(笑)。

まぁ、それはどうでもいいとしてw

この公園には妙な石碑がありまして、幼い頃ここで遊ぶ度に不気味に感じていました。

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幼い頃は多分お墓か何かだと思っていたのでしょうか(笑)。

見ての通りこれは「横須賀軍港境域標」というもの。
調べてみると明治時代に軍港要港境域標規定が定められた際に設置されたもので、大日本帝國海軍横須賀鎮守府と民間の土地との境界を表す境域標柱として使われていたものらしいです。

更にこの石碑(正確には鉄筋コンクリート柱)、東京四谷の土木学会附属土木図書館にも横須賀市から寄贈された同等のもの(第六號標)が設置されているようで、「日本最古の鉄筋コンクリート柱」とされているとか。

何故こんな公園に存在するのかは分かりませんが、恐らく山を切り開いて宅地化する際に発見され、公園へ軍事遺産として移築したのでしょう。

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前:「横須賀軍港境域標」
後:「海軍省」
左:「明治三十三年二月十三日」
右:「第六十二號」

明治33年つまり1900年に設置されたというこの碑、既に製造から100年以上も経っているとは…。

海軍省、旧字体の”号”など見慣れない文字が連なるこの姿…。
2〜3年前にリニューアルされたこの公園にはとても不釣合いですが、このギャップが何ともいえないというもの事実w

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横浜三渓園

昨日、朝の神武寺探訪に続き三渓園の紅葉を見に本牧まで行ってきました。



三渓園は明治末から大正にかけて製糸・生糸貿易で財をなした横浜の事業家である原三渓(原富太郎)が、東京湾沿いの本牧の谷あいの地に造成した日本庭園で、京都や鎌倉などの歴史的建造物が移築されています。
要するに悪く言えば良いものの寄せ集めな訳ですが、四季折々の草木と歴史的建造物が調和した光景は格別で、何よりも古い建造物を保存しようという試みは大いに評価できるものだと思います。
(因みに2006年には国の名勝に指定されています)

三渓園へのバスは根岸と横浜から出ていますが、金銭的な都合により横浜駅から148系統のバスで本牧まで向かいます(^^;

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▲三渓園正門から大池を望む

ヨコハマeアンケート(平成23年度下半期)のメンバーということで一般料金から100円引いた料金で中に入ることが出来ました。

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▲鶴翔閣(横浜市指定有形文化財)

正門から中に入っていくとまず右手に見えるのが鶴翔閣。
原三渓が自身の住まいとして1902年に建てたもので延床面積は950㎡を誇ります。
第二次世界大戦中に改築されたものの2000年に創建当時の姿へ戻されたそうです。

この日は貸切使用中だったらしく中の様子を見ることは出来ませんでした。

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▲御門(横浜市指定有形文化財)

元々は京都東山西方寺にあった1708年頃建立の薬医門。

ここから嘗て原三渓が私庭として使用していた内苑へ。

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▲臨春閣(国指定重要文化財)

紀州徳川家初代藩主・頼宣が1649年に建てた臨春閣。
書院造風の建造物で内部には狩野派絵師の障壁画(複製)があります。
個人的には池に突き出した柱部分が特に萌えます(^^;

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臨春閣の横にある和風な橋。
背後の紅葉も良いですがデザイン的にも私の大好物です(^^;

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▲瓢箪文手水鉢(ひょうたんもんちょうずばち)

豊臣秀吉が愛用したと伝えられる手水鉢で後年伊賀上野城にあったものらしいです。
何故こんなところにあるのかは謎。

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▲天授院(国指定重要文化財)

内苑の最奥部にある天授院。
1651年に建立されたもので元々は鎌倉・建長寺近くの心平寺跡にあった地蔵堂の建造物。
(当時堂内にあった地蔵像は建長寺仏殿内で保管されているそうです)

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▲月華殿(国指定重要文化財)

天授院の前にある月華殿。
元々は京都・伏見城の大名来城の控え所として使われていたとか。

それにしても紅葉が美しい…。

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▲聴秋閣(国指定重要文化財)

1623年に建造された聴秋閣。
京都・二条城にあったとされる徳川家康ゆかりの楼閣建造物です。

その名の通りたくさんの秋色に囲まれていて美しい…。

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▲春草廬(国指定重要文化財)

小間部は江戸時代に建造されたもので織田有楽の作と言われています。

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小間の内部。茶室建築でお馴染みのにじり口があります。

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▲蓮華院 竹林が良いアクセント

原三渓の構想によって大正時代(1917年)に建てられた茶室。
元々は春草廬の位置にありましたが第二次世界大戦後に現在の位置へ移築されました。

ここから内苑を出て外苑の松風閣(展望台)へ。

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(左)本牧のコンテナ港・石油化学工場を望む 眼下の本牧市民公園にはD51の姿も
(右)根岸・磯子方面を望む

ここが横浜であると再確認出来る場所(^^;
同時に工場萌えな方々にとっては堪らない場所でしょう。

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▲旧燈明寺三重塔(国指定重要文化財)

三渓園のシンボル的存在となっている旧燈明寺三重塔。
1457年に建立されたもので元々は京都・燈明寺(現在廃寺)にあったものです。
ちなみに関東にある木造の塔の中では最古であるとか。

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▲旧東慶寺仏殿(国指定重要文化財)

1634年に建立されたもので元々は縁切寺として知らている鎌倉・東慶寺にあった仏堂。

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▲ 旧矢箆原家住宅(国指定重要文化財)

江戸時代後期に建てられた合掌造りの建造物。
ダム建設の際に寄贈されることになり、1960年に白川郷の岩瀬地区から移築されました。

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今年の夏に白川郷へ行ったばかりですが、横浜で合掌造りの建造物、そしてあの薪の煙の匂いを体感できるとは思いませんでした。
元有力農家の建物ということで規模や民具などの展示から見ても本家白川郷のものに負けていません。

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横笛庵と紅葉。
個人的に三渓園の中でも最も紅葉が美しいと思った場所。

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▲旧燈明寺本堂(国指定重要文化財)

三重塔と同じく元々は京都の燈明寺にあったもので1457年建立。

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▲レンズの汚れが… そろそろ買い替え時ですかな…(^^;

2時間ほど歩き回ったところで中の建造物を一通り見終わったのでそろそろ帰ることに。
最後に三重塔を写して南門へ向かいました。

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(左)本牧市民公園上海横浜友好園
(右)玉蘭庁 老朽化のため現在は立入禁止

三渓園を出ると今度は中国庭園が出迎えてくれます(^^;

この上海横浜友好園は横浜市と上海市の友好都市締結15周年を記念して1969年に作られたもので、横浜市が上海市に寄贈した横浜上海友好園のお返しという形で整備されたものらしいです。
上海市が整備したということで本格的な中国江南様式の庭園が再現されています。

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本牧市民公園で保存されているD51516。
後ろには横浜機関区(高島機関区)で使用されていた転車台もあります。

この後、本牧三渓園入口からバスで横浜まで向かい、ローソンでたまゆら上映会のチケットを発券して帰途に着きました。

紅葉が目当てでしたが、様々な古い建築物も見ることが出来満足な一日となりました。
また春か雪が降ったときにでも来ようかと思います。

■横浜三渓園

●開園時間
09:00~17:00(入園は閉園30分前まで)
●休園日
12月29日~31日
●入園料金
一般(中学生以上)500円、シニア(65歳以上)300円、こども(小学生)200円
※その他年間パスポート、前売り券、団体入園料金、横浜市民の条件による入園料金免除などあり
●アクセス(公共交通機関利用)
(正門利用)
・根岸駅から市営バス58・99・101系統で約10分、本牧下車・徒歩7分
・横浜駅から市営バス8・148系統で約30~35分、本牧三溪園前下車・徒歩3分
・桜木町駅から市営バス8・148系統で約20~25分、本牧三溪園前下車・徒歩3分
(南門利用)
・横浜駅から市営バス103・105系統で約35分、本牧三溪園入口下車・徒歩5分(本数が少ないので注意)

鎌倉へ

ここのところの休暇で鈍りきった身体…。
運動がてら鎌倉まで散歩に行ってまいりました。

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▲横浜市側の入口付近にある碑

近くに住んでいながら一度も通ったことのなかった朝夷奈切通。
御成敗式目を制定したことで有名な鎌倉幕府執権・北条泰時が1241年に命じて造らせたもので、鎌倉と当時の貿易港である六浦湊を結ぶ要道として機能しました。

因みにユネスコ世界遺産センターへ提出された推薦書(「武家の古都・鎌倉」)にはこの切通も構成遺産として記載されており、初夏に行われる第37回ユネスコ世界遺産委員会において登録の可否が決議されます。

峠道(県道)を通っても鎌倉には行けますが、折角なのでこの切通を通ることに。

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切通を使うと言いながらそれらしい写真を撮影しなかったのが悔やまれます。(苦笑)
この写真でも古道としての雰囲気は伝わるでしょうか。

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▲熊野神社

熊野神社といえば和歌山県の熊野三山を思い浮かべますが、ここ朝比奈にも鎌倉鬼門の守り神として創建されたと言われる神社があります。
どうやってこのような山中に社を築いたのか…先人の苦労が窺い知れます。

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切通の頂上付近から湧き出る水。
この流れはやがて太刀洗川となり滑川と合流します。
太刀洗の名の由来については考えたくない部分でありますが、梶原景時が源頼朝の命を受けて上総広常を始末した際、太刀の血をこの先の崖から湧き出る水で洗い流したことからこの名が付いたというのが一説としてあるようです。

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十二所を経て逗子市へ迷い込みながらも何とか鎌倉市街地に到着。
元々長居するつもりはありませんでしたが、駅前でバスを撮影してから地元まで戻ることに。

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(左)江ノ電バス藤沢608号車(三菱ふそう・エアロスター)
(右)京浜急行バスC1669号車(いすゞ・エルガ)


鎌倉駅東口バスターミナルに入ってくるバスが絵になること。
この傾き具合とタイヤの角度が良いですね!(謎)

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▲横浜京急バスSNA8121号車(日産ディーゼル・スペースランナーUA、富士重工新7E車体)

横浜京急バス追浜営業所に所属する貸切登録車。
富士重工が2003年にバス車体の製造を中止したということもあり、遠からず見る機会は減っていくのでしょうか。

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(左)公式側(前)
(右)非公式側(後) 全部入っていませんが…

見た感じシーサイドリビエラの輸送に使われているようです。


帰りも歩く気は更々ないので、バス(鎌24系統)で八景へ。

このまま家まで帰っても良かったのですが、空腹に耐え切れず駅前の三本コーヒーショップさんで昼食タイム。
前から入ってみたいと思っていたのでちょうど良かったかもしれません。

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▲窓から見える京急の車両

お店の方に許可をいただいて少しばかり撮影。
見慣れた光景でも視点が変わると違うものを見ているかのような錯覚に陥ります。

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レトロ調の心地良い店内。
土地区画整理事業の進捗にともない恐らくこの店も姿を消すことになると思われますが、ぜひ事業後にもこの空気感を味わえるような場所を再び創り上げていただければ嬉しい限りです。

海軍の遺構を訪ねる

一昨日、貝山緑地での撮影(前記事参照)のついでに追浜・夏島・浦郷地区を巡ってきました。
以前からこの辺りが海軍に縁のある地域であるということは伺っていたものの、実際に現地を歩いてみると意外にも当時の遺構が変わらず残っていることに驚きを隠せませんでした。

今後老朽化の進行により多くの遺構が失われると思うと残念な限りですが、現存する姿だけでも記録することが出来ればと思います。

■貝山緑地

京急線追浜駅から東に2km程の所にある台地状の緑地で、1916年に創立された横須賀海軍航空隊の一部としてかつては気象観測所や砲台等が存在しました。
近隣に存在した海軍航空隊の飛行場(現・日産自動車追浜工場敷地内)において日本初(1912年)となる水上機での飛行に成功したことから、緑地内には「海軍航空発祥の地」の碑が設置されています。

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(左)「海軍甲種飛行予科練習生鎮魂之碑」
(右)「海軍航空発祥の地」の碑(1956年再建→1995年移設復元)


テレビ等で時々耳にする「予科練」とは飛行予科練習生の略称ですが、大艦巨砲主義から航空主兵論への転換が囁かれつつあった1930年に第1期生となる予科練習生がここ横須賀海軍航空隊に入隊しました。
以後、茨城県の霞ヶ浦海軍航空隊への移転が行われる1939年まで、横須賀の地で多くの若者が日々訓練に励んでいたようです。

因みに、同緑地内の追浜神社跡地には「予科練誕生之地記念碑」があります。

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(左)緑地頂上付近の開けた場所にある展望台
(右)展望台から見た横須賀消磁所。海上自衛隊とアメリカ海軍が共同で利用しています。


坂道を登り砲台跡のある右手ではなく左手に進むと展望台に辿り着きます。
金沢八景駅方向から横須賀の米軍施設方向まで東京湾を一望出来るのが特徴です。

■夏島都市緑地(東京湾第三海堡構造物保存場所)

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貝山緑地から程近い夏島都市緑地内には、東京を守る要塞として1921年に完成した東京湾第三海堡の構造物の一部が保存されています。

関東大震災(1923年)による崩壊・沈下で暗礁と化していた第三海堡周辺では兼ねてから海難事故が多発しており、航行安全のため2000年から2007年にかけて撤去工事が行われました。
その際に撤去された構造物の一部は一時移設終了後に廃棄処分の危機に瀕していましたが、地元住民やNPOの尽力により観測所・探照灯・砲側庫が夏島都市緑地に移設され、現在は毎月第一日曜日に無料で一般公開されています。

■夏島・浦郷地区(旧・海軍航空技術廠〈旧・第一海軍技術廠〉)

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▲文化財説明板に掲載されている旧海軍航空技術廠施設図

海軍航空技術廠は航空技術の発展や研究を目的として1932年に設置されたもので、第二次世界大戦末期にはお隣の横浜市金沢区に設置された支廠(現・横浜市立大学、横浜市立金沢高校、総合車両製作所等)も含めて34,000人近くの方々が働かれていたそうです。
設立以降、終戦まで航空技術の研究・開発における重要な拠点として機能し、艦上爆撃機「彗星」や陸上爆撃機「銀河」、特攻兵器「桜花」の他、実用化には至らなかった、かの有名な局地戦闘機「震電」やジェット攻撃機「橘花」等の開発が行われました。
この場所で培われた技術は、戦後技術者を通して新幹線開発や自動車開発等に活用され、日本の高度経済成長を実現する上で無くてはならなかったものといえるでしょう。

この説明版後部には海軍航空技術廠の旧本庁舎が残っていましたが、惜しくも2005年に解体されています。

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(左)旧・第一工場 (右)旧・材料庫

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(左)旧・第四研究所 (右)旧・力学研究所

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(左)旧・製図工場 (右)「行幸記念」の碑に奥に見えるのが旧・電話所

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(左)旧・第四風洞場 (右)旧・第一研究所

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(左)旧・高速風洞場 (右)旧・高圧風洞場

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▲試験水槽関連の構造物(未成)

ざっと歩いただけでもこれだけの建物が残っていることに感心してしまうばかりです。

横須賀には夏島・浦郷地区の隣にある長浦地区にも海軍工廠造兵部の遺構が残っているようですが、工事の進行により消えつつあるようなので近いうちにも訪ねられればと。

〔参考〕

・国土交通省関東地方整備局東京湾口航路事務所 http://www.pa.ktr.mlit.go.jp/wankou/index.htm
・横須賀市 http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/index.html
・特定非営利活動法人(NPO法人)アクションおっぱま http://www.action-oppama.org/index.html
・時事ドットコム:【特集】日本の海軍機 http://www.jiji.com/jc/v2?id=20110904japanese_naval_aircrafts
・神奈川県/三浦半島に残る海・陸・空の軍事遺産 http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f70166/p8666.html
・追浜観光協会 http://oppama.info/
・文化財説明板「海軍航空技術廠本庁舎跡地」

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