コミケお疲れ様です

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二日間に渡って行われたイベント(模試)が今日終わりました。

その間、兄は有明の某イベントで売り子さんやってたらしいです(笑)。
(大学のサークルの手伝いらしい…)
こっちは激しい頭痛に襲われながら紙切れと格闘していたというのに…。

まぁ、そんな話はどうでもいいとしましょう。



偶には地元路線、京急についてでも。

色々なサイトを見て回ってみたのですが、最近どうも600形601編成の動きが活発化しているようですね。

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▲私が小学生になる前?に買ったと思われるボロボロの下敷 因みに写っているのは602編成

600形は1000形の後継車として私が4歳の頃、1994年に登場した都営地下鉄浅草線乗入車両で、600形としては三代目にあたります(二代目600形は一番上の写真)。
登場時は上の写真のようにこげ茶色のワイパーカバーをつけていました。

その後、視認性向上の為1995年に現在見られるようなアイボリーへと変更されています。

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▲1995〜2006年までの601編成 「ツイングルシート」・黒幕字幕も残存

特別な変化もなく10年近くは上記のような姿で活躍していましたが、600形の特徴でもある(オール)クロスシートは朝夕ラッシュ時には適さない代物であり、乗り入れ先の東京都(都営浅草線)からの要望もあったか否かは不明ですが、一部の座席(車端部・乗務員室後部等)を除きロングシート化改造が行われることになりました。

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▲改造前の600形車内(写真は600形602編成)

問題となったのがこの「ツイングルシート」。
手前の4席を収納して立席スペースを確保するというのが売りでしたが、後に固定化されたことで立席定員が減少しラッシュ時における”厄介者”と化していました。

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▲2006〜2009年までの601編成 改造と同時にローマ字併記の白幕字幕へ交換

そして2009年7月末。
601編成のワイパーカバーが「600」のスリット入りのものに交換されたという奇怪なニュースが…。

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▲イメージ(※写真は2100形)

8/10に運用復帰し、現在は営業運用に入っているらしいので「来ないかなぁ」と思っていると、昨日の帰りに早速見ることが出来ました。

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随分スマートになりましたね…(笑)。



これで

子供「あっ!1000と2100がいる!ママ、あの1000に似てるのは何てゆーの?」
母「ごめんね…ママ、ちょっと分かんないなぁ…」

みたいな会話が無くなると良いですね(^^;

…新1000形・2100形の基礎となった600形の扱いがあまりにも不憫に思えていたので…。
(もう手遅れかもしれませんが…)



何はともあれ、今後他の編成にも広がるのかどうか気になるところです。
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今年が最後かなぁ…

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いつのまにか数を減らしていた京急1000形。
10年くらい前まで百数十両近く活躍していた同車も終にあと20両?というところまで来てしまいました。

今年は京急蒲田駅付近連続立体交差事業に伴うダイヤ改正によって大幅な車両の見直しが実施されると思われるので、持って今秋までといったところでしょうか?


果たして来年の桜の季節、1000形に出会うことはあるのか…。

〔補〕

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この1071編成が引退、つまり冷房改造車が京急から姿を消して早5年程…。
昭和36年製(1961年製)という骨董品だっただけに、せめてこの編成だけでも保存して欲しかったと思う限り…。

琴電1080形(元京急1000形初期車)引退時には是非保存・活用について考えて頂きたいものです。

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▲高松琴平電気鉄道1080形(1089+1090編成)@高松築港

ダイヤ改定前夜

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明日の始発電車がwktk過ぎるwww



こんなにも待ち遠しいと思えるダイ改は何年ぶりだろうか…。

ダイヤ改定当日

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本日から京急のダイヤが大幅に変更されるということで早速近場まで撮りに行って来た。

〔逗子線関係における主な変更点〕
●エアポート急行の新設
●金沢八景駅快特停車化
●増結運用(羽田・品川方面)の大部分を廃止
…などなど

▼詳しくは
〔報道発表資料〕 5月16日(日)ダイヤ改正を実施します (2010/05/07)



朝4時起床。
逗子線の土休日始発列車が8連に変更される(エアポート急行運用に充当する為)ということで、始発送り込みの15分程前に家を出発し六浦駅へ。

送り込みを撮影し、上り始発までまだ時間があったので「エアポート急行」運行記念乗車券を購入。

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H22.2.22の悪夢があるので心配していたのですが、普通に並ばずに買うことが出来ました。

…それにしても1500円は高い。
入場券にすれば良かったのにと思ったり思わなかったり…(^^;

それから10分程して上り始発列車が到着。
折り返しの撮影に狙いを定めます。

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▲532D

初っ端から失敗したOTZ
先が思いやられる…。

気を取り直して後続の上り列車で金沢文庫方面へ。

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▲517

八景で少し粘っていたところ1000形が来たので思わず一本見送って撮影。
改定後も元気そうで何よりです。

定期券利用なので別に問題ないとは思うのですが、一度文庫で降り再び入場。

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▲585C

土休日ダイヤに関しては知識が乏しく正しいかどうかは定かではありませんが恐らく増発されたと思われる羽田空港行特急運用。

ここまでくると羽田方面に力を入れ過ぎていると感じなくもな(ry

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▲(左)昨日時点での案内表記(右)本日時点での案内表記

当然ですが柱の案内も貼り変えられていました。
文庫名物だった「縦列退避」が消滅してしまったのは少々寂しいですが、煩わしさが消えたという点では良かったのではないでしょうか。

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そうこうしている内に八景方向から文庫始発のエア急となる回送列車が到着。
またもや2000形。今までの冷遇が嘘みたいですね…。

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士急行 羽田空港…何だか新鮮。

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▲631D

今まで平日の朝・夕ラッシュ時のみしか活用されていなかった2000形8連固定編成が有効活用されるようになったという点では、今回の改定は良かった?かもしれません…。

撮影後、逗子線内でエア急を撮る為下りホームへ。

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新逗子行の違和感w
空気輸送ですね、わかります

六浦に戻り神武寺寄りの踏切で逗子線エア急営業一番列車を待つこと3〜4分…

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▲633D

眼球から熱いものが…。
列番のD表示、(エアポートが付くものの)急行表示。この日をどんなに待ち望んだことか…。
10数年前に六浦から北総線直通急行(北総7000形)に乗った記憶がふと蘇りました。

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▲634D

エア急通過後今度は先程文庫で表示されていた8連の普通がやってきました。
またまた2000形。
本当大活躍としか言いようがないw



これを撮影して帰宅しました。

〔追記:19時現在〕

横浜に用があったので序でにエア急その他諸々を見てきたわけですが、やはり前々から予想されていた問題点が浮き上がってきてしまったようですね…。
とりあえず土休日のダイヤに関して(個人的に)気になった点があったので二つほど。

まずエア急について。
増結運用を置き換えたということで八景での接続が無くなるというのは当然な話である訳ですが(快特から逃げ切る為)、品川方面に行く為には6〜7分?近く後続の快特待たなければいけないというのは少し頂けませんね…。
私自身の活動範囲は横浜までなので別に問題ないのですが、品川方面へ行くとなると少し不都合に思える部分も(以下略

それと下りA快特。
今日見た限り、横浜16時時点での混雑率は朝ラッシュ時並でした。
お陰で本来ならA快特に乗り上大岡で普通に乗り換えるところ、二本後のエア急でまたーりと帰ってきましたよ(笑)。
まぁそれ(分散乗車)が狙いというのもあるのでしょうが、前の快特がこのような状況である以上あまり意味がないように思えるのですが…。


これ、どうにかならないんでしょうかね?

ということで妄想してみた↓

第一案。
品川〜文庫間で文庫止まり(あるいは浦賀or 新逗子)の4連をA快特に増結、あるいはSH快特への増結をA快特への増結に変更。
これによって現状のA快特における混雑を緩和することが出来る…ハズ。
ただ前者の場合だと車両が足りなく、後者の場合はダイヤ的に可能か否かが不明…。

第二案。
新逗子系統と停車駅が異なる浦賀系統エア急の新設。
いわゆる千鳥式運転という奴です…。

■停車駅例■
(浦賀〜文庫:特急停車駅)
文庫―富岡―杉田―上大岡(下り:普通接続)―黄金町―日ノ出町―横浜―新町(上り:普通接続/下り:快特退避)―生麦(下り:普通接続)―鶴見(上り:快特退避)―市場―川崎(上り:普通接続)
(川崎〜羽田:特急停車駅)
※退避・接続パターンは飽くまで私の妄想に過ぎず、実行できる確証はありません(^^;

この案の問題点としては、車両の確保の為に文庫〜川崎間の普通列車が削られることになり、8連停車未対応の普通列車停車駅がもろに被害を受けてしまうこと(毎時9本→6本…これは昼間時の逗子線並)、千鳥式運転による誤乗の増加が挙げられるでしょう。

第三案。
都営線からのSH快特をH特急に変更して8連化し、代わりにA快特を12連化して乗車率を均衡化。
…無理かな(^^;

結論としてはどれも今ひとつといった感じで現状では無理があるということかと。
2年後に控えた京急蒲田完全高架化に期待するしかないようですね。
蒲田の切欠きホームさえ使えるようになれば何とか普通列車を減便せずに何らかの列車を増発出来る筈ですので…。



さて明日はどうなるものやら…。

伝説になった赤い老兵

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まもなく、我らが”京浜急行の名車”こと1000形が引退となります。

〔京浜急行電鉄 報道発表資料〕 50年間活躍した1000形が引退します (2010/06/23)



思えば20年弱この1000形に世話になっていた私としては、当たり前のようにいた誰かが突然いなくなってしまったときの何とも言い表せないやるせなさ…そんな感覚すら覚えてしまいます。

旅行帰りにこの車両に乗ると不思議と故郷(横浜)へ帰ってきた気分になったのも…
塾帰りに、疲れた身を1000形のスプリングの利いた座席に委ねついついお隣の神武寺まで寝過ごしてしまったのも…
真夏に、抵抗器真上のドアから乗り込む度に熱さでげんなりしたのも…皆過去の想い出。

そんな1000形も、明後日から想い出の中でしか語ることが出来なくなってしまうんですね…。



…少しばかり葬式っぽくなって来たので感傷に浸るのはここら辺で(^^;

折角の機会なので、今まで撮り溜めてきた写真を基に1000形という車両について纏めてみることにしてみましょう。

※以下、主にWikipediaと手持ちの書籍を参考に独断と偏見で書かせて頂いておりますのでその辺はご了承下さい。



京浜急行1000形は、都営1号線(現:都営浅草線)への乗り入れを想定して1959年に登場した片側3扉・ロングシートの通勤形電車で、1978年までの19年間に356両もの車両が製造されました。
(因みにこの1000形、全356両が「デハ1000形」として製造された為単一形式としては私鉄最多製造数だそうです…)
外観は、前面上部に一灯の前照灯、下部に二個の急行灯(尾灯)、側面には片開きのドア…という”昔ながらの電車”という言葉が相応しいもので、この古風な外観に心惹かれたファンも多かったのではないかと思われます(^^;
また、製造期間が長期に亘った為バリエーションが豊富なのもこの車両の特徴です。

それでは具体的にグループごとに分けていきましょう。

■■■■■■■ 220両口 ■■■■■■■

1959(1958)〜1968年に製造された220両を指し、晩年はその外観から「白幕車」「分散型(冷房車)」などと呼ばれていました。
起動直後と静止寸前に聞こえた独特の”唸り”音もこのグループ独特のものでした。

●Aグループ●

1958年に製造された本形式の試作車デハ800形・デハ850形4両を指します(1965年に1000形へと改番)。
製造当初は一灯(白熱灯)・非貫通・前面二枚窓の所謂”湘南形スタイル”でしたが、1973年までに量産車とほぼ同一の形状へ改造され、1988年に廃車となりました。

…このグループは私が生まれる前にお星様になってしまった為コメントを付け難いのですが、一部の機器が事業用車両であるデト11・12形、デト15・16形に流用され半世紀もの間使用され続けているというのは何とも感慨深いですね(^^;

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▲事業用電動無蓋貨車「デト11・12形」

●Bグループ●

1959年〜1960年にかけて製造されたデハ1001〜1048までの4連×12本(48両)を指し、Aグループと同じく非貫通・二枚窓の”湘南形スタイル”で登場しましたが、同グループと異なり当初からシールドビーム式前照灯を備えています。
1969年から1972年にかけて編成組替と並行して前面貫通化改造が行われ後に登場する車両とほぼ同一の形状となり(但しアンチクライマーの最下段に差異あり)、1979年から1984年にかけて冷房化改造が行われた後、1990年代までに全廃となりました。

…このグループも私には馴染みがないんですよね…。
ただこのグループから12両程高松琴平電鉄に譲渡された同社の1080形に乗ってみた限りでは、最近まで残っていたものとあまり差異がないように感じられます。

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▲(左)琴電1080形1089・1090編成(元京急1000形デハ1047・デハ1048)
▲(右)製造当初のイメージ(写真:逗子池子第一運動公園で保存中の2代目600形デハ601)

●Cグループ●

1961年から1962年にかけて製造されたデハ1049〜1068までの4連×5本(20両)、デハ1069〜1078までの2連×5本(10両)、デハ1101〜1130までの6連×5本(30両)計60両が該当します。
このグループからは製造当初から前面に貫通扉が設けられていますが、現在見られるような字幕表示窓は設けられていなく現在とは異なる顔付きをしていたそうです(1966年から1967年にかけて仕様共通化改造工事施工済)。

(補)

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▲1259編成を加工して登場時の姿をイメージ(^^;

邪道ですが1259編成の前面に1071編成の車番やら某社の自連やらを接着し合成してみました…。
改造元がFグループなので細部を見ると異なる点が多々あると思いますが、飽くまでイメージということで…。


1983年から1986年にかけて冷房化改造工事が実施され1991年から順次廃車となる車両が出てきましたが、編成組替の影響を受けず終始2連で使用されていた1071編成は走行距離が少なかった為、2005年まで約44年もの間活躍しました。

…このグループのイメージというと私のようなひよっ子世代的にはやはり1071編成かと。
逗子線にも頻繁に顔を出していましたし、何と言っても夕方の特急1705C(増結車)ではお世話になりました。
増結車が黒幕車+白幕車(1071編成)の組み合わせだった場合、迷うことなく後者を選択していたあの頃……。
…寂しくなりましたよ…。

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▲夕刻の文庫始発新逗子行運用に入る1071編成 2004.8.20

●Dグループ●

1964年から1966年にかけて製造されたデハ1131〜1196、デハ1201〜1206までの6連×12本(72両)が該当します。
このグループから字幕表示窓が設けられるようになり、現在見られるような1000形の前面スタイルが確立しました。
1976年から1982年にかけて冷房化改造が行われ、2004年度までに全廃となっています。

…1149編成、1179編成、この辺が最後まで残った車両でしたでしょうか。
そして後述のEグループにも言えることですが、OK-18系台車を装備した川崎車輌製の車両の内晩年まで残っていたのもこのグループでした…。
当時残っていたのは確か6連固定が3本程という感じだったので川崎以南の普通電車を中心に使用されていたと記憶しますが、個人的に印象深く残っているのは”新逗子発上大岡まで先行の上り列車”としての姿でしょうか。

”爆音”と表現された起動時・静止時の唸り音、そして軸梁式OK台車のコイルバネが巻き起こす激しい振動…。

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▲(左)京急ファインテック久里浜事業所内で保存されている「OK18-I台車」(右)銘板

上大岡4番線入線時に生じた激しい上下方向の”揺れ”は今でも忘れられません…。

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▲(左)1149編成/ジャンパ栓受の跡が残る 2003.3.1
▲(右)1179編成(4連時代)/自由研究の素材集めを目的に撮影した写真(^^; 2001年8月頃

●Eグループ●

1968年に製造されたデハ1207〜1242までの6連×6本(36両)が該当します。
このグループは都営線乗り入れに備え、当初から地下鉄線内を走行する為の機器(NCB-II形密着自動連結器、1号型ATS、列車無線等)が備え付けられています。
Dグループと同じく1976年から1982年にかけて冷房化改造が行われ、Cグループの1071編成と同時期に引退した1219編成を最後に、2005年3月を以って全廃となりました。

…このグループといえばやはり8連時代の1219編成ですね♪
平日の夜だったと思いますが、(塾帰りに上大岡で見た)分散型クーラーを犇めかせて特急運用に就くその堂々たる姿は子供をも魅了させるものでした…(^^;

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▲(左)晩年の1219編成(4連時代) 2004年8月頃
▲(右)8年程前に買った物から同車の8連時代の写真を…(裏技♪)

■■■■■■■ 136両口 ■■■■■■■

2代目700形の製造期間を挟み1971年から1978年にかけて再び製造された136両を指し、晩年はその外観から「黒幕車」「集中型(冷房車)」などと呼ばれました。
現在残っている12両もこのグループに含まれます。

●Fグループ●

前述の通り、1971年から1978年にかけて製造されたデハ1079〜1080までの2連×1本(2両)、デハ1301〜1348までの4連×12本(48両)、デハ1351〜1380までの6連×5本(30両)、デハ1243〜1298までの8連×7本(56両)計136両が該当します。
このグループは従来の車両から大幅に仕様が変更され、集中型空調(冷房)装置・空気ばね車体直結ウイングばね式台車など数々の新機軸が採り入れられました。
登場当初は従来車と同じく白幕行先方向種別字幕を装備し屋上には通風器が設置されていましたが、1988年から1994年にかけてリフレッシュ工事(字幕のSPC方式化・連結器の交換・屋上通風器の撤去など)が施工され現在見られるような姿となっています。

…このグループ、今でこそ注目するべき対象となっていますが、白幕車が健在だった頃は予想に反してコレが来るといつも落胆していたのを思い出します(^^;
そんな車両も今や残り12両…。人間というのは都合の良い生き物でして、何事においても数が減り珍しくなった途端に騒ぎ出すんですね…コレが。

◆主電動機出力75kWタイプ(デハ1251〜1290?)◆

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▲(左)偶々逗子線特急に充当された1267編成 2007.4.4
▲(右)最終期は6連化され、普通列車に使用されていた1259編成 2007.3.6

◆主電動機出力90kWタイプ(デハ1291〜1382、デハ1243〜1250?)◆

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▲(左)最後まで残った4連固定の1305編成 2005.3.25
▲(右)地下線に入ることもありました…(1309編成) 2006.7.31

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▲(左)2連固定の1329編成 2007.2.8
▲(右)何故か無性に好きだった1333編成 2008.5.26

■ 特殊塗装(ラッピング)車 ■

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▲(左)昭和中期の京急旧塗装をイメージしたラッピングが施された1309編成「ありがとうギャラリー号」 2008.12.20
▲(右)京浜電気鉄道デ51形をイメージしたラッピングが施された1321編成「歴史ギャラリー号」 2008.5.26

■ 運転台 ■

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▲デハ1337運転台 2006.7.26

寒色系(薄緑色)の配色で纏められた”昔ながらの運転台”という言葉が相応しい1000形の運転台。
昨今では着脱可能なブレーキハンドルを備えたツーハンドル式の運転台を見る機会自体少なくなってきていますが、この1000形では21世紀を越え10年近く経つ今日まで現役でした。

■ 車内 ■

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▲(左)デハ1377車内(右)「KHK」の文字が刻まれた扇風機

運転台と同じくこちらも寒色系で纏められた1960・1970年代テイストとなっています。
袖仕切りに握り棒が設置されていない為、同時代に作られた他の関東大手私鉄の車両には無い開放感を感じられるのもこの1000形(700形も)の特徴でした。

…余談ですが、この袖仕切り、ちょうどいい感じに肘を乗せられる高さとなっていて、ガラガラなときなどはこの仕切りに腕を乗せ眠りの世界へとよく誘ってもらったものです(^^;
また扇風機に関しても汗っかきな自分としては、夏場なんかは特にありがたかったですね…。
(新型車両にも是非つけて頂きたい…)


さて、ここまで長々と思うように書かせて頂きましたが、今更ながら思うのは「もっと撮っておけば良かった」の一言に尽きます。
特に白幕車に関しては殆ど記録が残っておらず残念な限りです。



最後に、本日行われた「1000形ありがとう運転」の様子をちょこっとだけ。


何処で撮影しようか迷った末、やはり最後は馴染みの八景〜文庫間で締めることに。

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文庫寄りが混んでいたので空いている八景寄りで待つこと数十分、3分遅れで「ありがとう運転」用の1000形8連がやって来ました。

((o(´∀`)o))ワクワク

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2連+6連という変則的な編成ながらも(嘗て存在したみたいですが…)種別板を掲げた堂々たる姿には圧倒。
久々に見た8連優等の姿に涙腺が緩んでしまいました…。

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明日は忙しい為、今日は私にとって1000形をこの目で見ることが出来る最後の日。
もう二度と出会うことはないであろう1000形の勇姿を目に焼き付けて…。

長い間本当にお疲れ様でした…。



とりあえずあと三日くらいは感傷に浸らせて頂きます(^^;

《追記 2010.6.29》

何だかんだでもう一度拝めることになりました…(^^;


駅や沿線で撮る気は更々なく、ただ「見送りたい」という一心だったので、地元の丘から俯瞰して最後の時(廃車回送)を待つことに。

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▲金沢八景〜追浜間 17時09分頃

昨日まで大師線で働いていた1305編成が久里浜の工場へと向かって行く…。

生憎の天気で視界もあまり良くありませんでしたが、この写真もいずれ良い想い出となることでしょう…。



私の心の中に限らずこれからも1000形を愛した皆さんの心の中で1000形が走り続けることを祈って…
さよならは言いません…

ただ…ありがとう、と…。

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